縁側は、陽だまりに包まれ、ぬくぬく、のんびり過ごす 時間と空間です。
なくても生活できますが、あると居心地よく、いま忘れている“あそび”や“ゆとり”に似ています。
モノもなく、りんとしていながら、人が集ってなごやかに楽しくお茶を飲む場でもあります。
太極拳とは、縁側のようなものです。
あたたかな光を浴びれば、知らずに身にまとった緊張の鎧が、自然に脱げるかもしれませんし、氷のように閉ざされた心も、溶けるかもしれません。
本来、人は誰でもやさしい存在です。でも、やさしいままでいられない状況では、自分を守るために、体と心を閉ざすしかないこともあります。
固く閉ざした奥には、大切に守りたい何かがあります。太極拳は、不要な緊張に気づき、取り去っていきます。体がゆるみ、心がほぐれれば、体と心が目覚め、だんだんと本来の自分の姿が現れます。自分にとって本当に大事なものを大切に、生きていけるようになります。
ほかの誰でもない、自分の人生を生きたいすべての人に、体験してほしいと願っています。
太極拳発祥の地という伝説もある道教の聖地、中国の武当山*で育まれた伝統太極拳です。この地で大切にされてきたのは、「調和」です。宇宙に天と地という陰陽の調和があるように、体と心、人と人、自然と人の調和を大切にします。流れる水のように止まることなく、円を描いてしなやかに伸びる動きは、体と心にゆとりを生み出してくれます。心身にすこやかさをもたらし、しなやかな自分の軸を作ります。
*湖北省十堰市にあり、そこに建つ古建築群(道教の寺院群)は、山との調和も美しく、1994年に世界遺産に登録されています。
生きることは、競争ではありません。自分なりの花を大切に育てて咲かせるだけです。みなさんが自分を尊重し、お互いを尊重し、それぞれのペースで体と心を育てていけるよう心がけます。
お稽古とは、心身ともにすこやかに、しあわせに生きるためです。真摯に取り組む姿勢と同じように、笑顔あふれる時間も大切です。笑顔は心を温めます。
中国武術を意味する功夫(カンフー)は、もともと、時間をかけてみがいていく匠の技のような意味を持ちます。それぞれに合う方法で、ゆっくり育てていけるよう、一人ひとりにアドバイスします。
現代人は、一般的に足が弱いです。年齢が上がると、さらに頭でっかちになるためか、重い上半身に対して、弱い下半身が耐えられず、転びやすくなります。足は、生るための土台です。必要な筋肉をゆっくり育て、無駄な緊張を取り去り、関節の隙間を空けて、ゆとりを取り戻すことで、めぐりのよい体を育てます。
多くの人の感覚は、まだまだ発達する可能性に溢れています。体がうまく使えないのは、筋力だけの問題ではなく、感覚が弱いこともあります。感覚が育てば、心身の状態を把握しやすくなり、思ったとおりに体が動くようになります。
太極拳の套路(型)は、すべきことの結果として現れるものです。最後に見えた形だけ作りに行くと、中身のないハリボテのようになってしまうかもしれません。見えるものだけではなく、見えないプロセスも大切に指導します。
※minmin(みんみん)は、わたしのニックネームです。伝統を尊重しつつ、流派にこだわらずにオリジナルなものを伝えていきたいという思いで名づけました。
武当山に伝わる功夫は、内家拳とも呼ばれており、太極拳の他、形意拳、八卦掌、そして気功があります。
太極拳は、まるく、ゆったり動き
形意拳は、シンプルで鋭く直線を進み
八卦掌は、円周を歩きながら、しなやかに体を使い、掌で攻防を行います。
それぞれ特徴はありますが、すべて陰陽のバランスから成り立っています。
攻防の技である太極拳、形意拳、八卦掌に対し、気功は自分だけの世界に深く入ります。
気功を学ぶことで、陰陽の調和を体得し、心身の調和を得て、内なる平和を取り戻します。
内なる平和を取り戻したら、外の世界に乗り出します。そこには人との争いや衝突もあり、自然との不調和もあります。
不調和に飲み込まれて、内なる平和をあきらめるのか、
内なる平和を守り、世界に平和を広げていくのか、
それは自分の選択です。
太極拳の「太極 」が示すのは、調和です。それは陰と陽が生まれる母体です。
この世は、天地、男女、動静、昼夜など、すべて陰陽の組み合わせから成り立っています。片方だけでは存在できず、お互いに助け合って存在します。
陰陽に分かれているために、バランスを崩すこともあり、現実の世界では、対立や争いも起きますが、そのベースにあるのは調和です。
太極拳、形意拳、八卦掌は武術ですが、相手を倒すための技ではなく、“武”という文字が示すとおり、戈を止める術、争いを止めて調和を取り戻すためのものです。
武術をする人は、命に限りがあることを知り、自分の体を大切に扱い、すべての命を尊重します。いつでも自分が誰かを傷つけるかもしれないことを知り、それを超えて、調和を選び続けます。
調和は、わたしたちが気づきさえすれば、いつでもそこにあります。
功夫(カンフー)とは、
健康のため
自分を守るため
人を守ためのものです。
内なる平和を取り戻し、共に、しあわせに、生きていけますように。
広報などのコミュニケーション業務に携わる中、「人財」を活かすことに関心を持ち、人事・組織のコンサルタントとして組織改革などに携わる。人がイキイキと輝きはじめる場面に立ち会う仕事にやりがいを感じる一方、痒疹(ようしん)という皮膚疾患にかかったこと、太極拳と出会ったことが、自らの体と心のバランスを見直すきっかけとなる。
ハーブやアロマを使った植物療法を行うメディカルフィトセラピスト(AMPP認定)でもあり、季節にあわせた食や薬膳の知識も豊富。
静慧(Jing Hui)は道号、武当玄武派第十五代伝人 田理阳師父からいただいた道教の修行者の名前。「静」と「慧」の2つの質があり、心身が深く静かになると智慧が現れるという意味で名づけられた。
現在も毎年、武当山を訪れ、武当玄武派第十六代伝人 明月師父に師事し、稽古を続けている。
好きな言葉は、「笑う門には福来る」。
Kung-fu is my life. 太極拳とは、わたしの人生を生きることです。
それは、外で起きることに振り回されず、自分の真ん中に戻してくれるものです。心身ともにすこやかで、本当の願いに沿って生きる大きな助けになっています。
日々、お稽古を通じて小さなチャレンジを続けることは、自分への信頼と繋がりを育てます。始める前よりもずっと、自分のことを好きだと思えるようになりました。
わたしには、頭で考えすぎて、体も心もカチカチだった時期があります。一生懸命でしたが、自分は本当は何がしたいのか、わかりませんでした。他人の期待に応えようとして、満足する結果が出ないと自分にダメ出しをしてしまい、体も悲鳴をあげるようになりました。体と心がバラバラで、お互いが求めていることを知りませんでした。
太極拳を始めて、自然の中に身を置き、体と心に向き合っていくうちに、凝り固まっていたものが、だんだんほぐれていきました。体はすこやかに、心も穏やかになり、他人の期待に無理に応えることもなく、誰かと比較して競争することもなくなりました。自分の体の声を聴き、心と繋がるようになり、自然に心が開いて、体も安定するようになりました。そして、本当に自分が望むこと、大切にしたいことがわかるようになってきました。全て自分で頑張るのではなく、人や環境の助けを借りて、流れに乗って生きることも覚えました。
山や海、空は、ありのままが美しいと感じます。そこに生きる人も、それぞれ美しい存在です。でも頑張りすぎたり、競争の中で比較や思い込みにとらわれたり、恐くて鎧をまとったりして、本来の美しさが隠れてしまうこともあります。
太極拳は、長い歴史の中で積み重ねられてきた智慧です。それは自分で自分を癒し、自分の花を咲かせる方法のひとつです。
誰もが可能性にあふれています。いくつになっても、すこやかに、夢や希望を抱いて生きることはできます。
自分に目覚めて、しあわせに生きる人が、ひとりでも増えたら、世界はもっとやさしい場所になると思っています。
太極拳に関するご質問、講師依頼、その他何でもお気軽にお問合せ下さい。